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猫の肥大型心筋症(HCM)

文責:宍倉

 

猫

はじめに

 心臓は血液を全身と肺に循環させるポンプ機能を果たす重要な臓器です。全身から大静脈に集まった血液は右心房→右心室を経て、肺で新鮮な酸素を取り込み、左心房→左心室を経て大動脈から再度全身へ送られます。これらの仕組みは非常によくできており、健常であれば澱みなく順路通り血液は運ばれていきます。しかし何らかの原因で心臓の構造に異常が生じると血液の流れにも異常が生じます。
 肥大型心筋症(HCM)は猫で最もポピュラーな心臓病の一つであり、症状や心雑音のない猫の11~16%に認められると報告されています(人の肥大型心筋症発生率は0.2%)。重症度や進行速度は個体差が大きく、診断時の年齢は5.5歳を中心に4か月~16歳と大きな幅があります。症状が重症化/劇症化しない限り気づかれないことも少なくなく、病気に気づかず過ごしている猫も一定数存在すると考えられています。猫の肥大型心筋症はどのような病気か、猫と暮らすご家族に知っておいてほしいことを解説していきます。

病態

 肥大型心筋症とは文字通り「左心室の心筋が進行性に肥厚」していく病気です。細かくいえば左心室を構成する解剖学的構造のどの部分に肥厚が起きるかによって病態は細分化されますが、いずれの場合も進行に伴って心臓の収縮・拡張といったポンプ機能や内部の血流に異常が生じることで問題が引き起こされます。左心室の心筋全体が肥厚し、硬くなったり伸縮性が低下したりすると、左心房から流れてくる血液を左心室内に受容しにくくなります。また、猫の肥大型心筋症の30~50%では左心室壁が分厚くなった結果として大動脈への流出路が狭窄し、同時に左心室から左心房へ血液が逆流してしまうことが知られています。これら様々な病態によって左心に鬱滞した血液は左心内圧を上げ、更に左心内血流異常を引き起こす悪循環に陥ります。
 左心内圧が上がってもある程度までは心臓や肺機能の適応がなされ、症状を伴うことはありません。しかし病状の進行とともに代償機構が破綻すると左心房に鬱滞した血液が心臓や肺の血管内にとどまっていられなくなります。これを鬱血性心不全(CHF)といいます。犬の左心不全のほとんどでは鬱滞した血液は肺へ染み出し「肺水腫」として呼吸を障害しますが、猫の左心不全では肺水腫だけでなく胸腔内かつ肺の外へ水が染み出す「胸水貯留」を高頻度に認めます。いずれの場合も、鬱血性心不全の進行は呼吸機能を著しく傷害し、治療が遅れれば死に至るため一刻も早い対処が必要となります。
 猫の肥大型心筋症で問題となるのは鬱血性心不全だけではありません。病態の進行に伴い左心房内で停滞した血液は血栓となり、大動脈を介して全身あらゆる血管に詰まる危険性があります。これを動脈血栓塞栓症(ATE)といい、激しい痛みや苦痛、呼吸困難を急性に引き起こします。発症すると極めて死亡率の高い合併症です。

病因

 メイン・クーン、ラグドール、アメリカンショートヘアでは家族性に発症する遺伝子疾患であると知られています。その他、ノルウェージャン・フォレスト・キャット、ブリティッシュ・ショートヘアー、スコティッシュ・フォールドなども遺伝性の素因が関連して発症すると考えられています。食事や環境など、後天的要因に関しては明らかな因果関係を認めるものはありません。

症状

 初期にはほとんど症状は認められません。左心不全の進行に伴って徐々に活動性の低下や疲れやすくなるなどの症状が出始めますが、緩徐に進行する場合は気づかれないことが大半です。重度に心不全が進行すると呼吸や活動性、食欲に異常を認め、咳をすることがあります。ただし、先述した動脈血栓塞栓症は重度~末期に進行する前に突如発症することがあり、突然死後駆麻痺などの劇的な症状を前触れなく認めることがあります。猫の動脈血栓塞栓症の70%は大動脈-腸骨動脈分岐に発症し、両後肢や尾への血流が途絶え、多くの場合は強い痛みを伴うとされます。血栓が詰まった箇所よりも下流では血が巡らなくなるため、麻痺や感覚の消失などの神経症状だけでなく冷感を認めることが特徴的です。

診断

 肥大型心筋症の確定診断は病理組織検査のみによって得られます。しかし今日の獣医療において心臓の病理組織検査はほぼイコール死後検査です。実際のところ、生前診断において最も重要な臨床検査は心臓超音波検査です。心臓の解剖学的構造や機能に異常がないか、熟達した獣医師であれば30分ほどで超音波検査を実施することができます。ただし、極度に緊張していたり保定に慣れていなかったり、攻撃的だったりする猫に一定の姿勢を保って検査することは極めて困難です。心疾患を持つ患者を検査のために無理やり押さえつけ、過度の負担をかけることの危険性は言うまでもありません。このような場合は適切に鎮静麻酔を行うことでより安全に検査を行うことができます。その他、胸部レントゲン検査や血圧、心電図検査、血液検査、尿検査なども病状の確認に重要です。
 重要な合併症である動脈血栓塞栓症(ATE)は、身体検査所見から容易に疑われるものが多く、激痛と急激な状態の悪化を伴います。後駆への血流障害が疑われる場合は腹部大動脈の超音波検査や、複数個所からの血液検査を組み合わせることでより確定的な診断が得られます。

病期(ステージング)

 2020年4月、American College of Veterinary Internal Medicine (ACVIM)が猫の心筋症の診断や治療に関する世界的なガイドラインを発表し、人や犬の心臓病を参考に以下のステージングシステムを提唱しました。


Stage A
:心筋症の素因があるが無徴候
Stage B1
:CHFやATEのリスクが低い≒左心房拡大がない~軽度
Stage B2
:CHFやATEのリスクが高い≒左心房拡大が中程度~重度、左心房や左心室
収縮力の低下、著しい左心室壁の肥大など
Stage C
:現在/過去のCHFやATEがある
Stage D
:治療に抵抗性のCHFがある

治療

 肥大型心筋症そのものを治癒させる方法は今日の医療では存在しません。人の進行した肥大型心筋症では心臓移植が唯一根治的な治療法となっていますが、猫の心臓移植は技術的にも倫理的にも現時点で行えるものではありません。そのため猫の肥大型心筋症の治療は左心不全の進行抑制と鬱血性心不全への対処、抗血栓などの内科的な対症療法が中心となります。
 先述した猫の心筋症の診断や治療に関する世界的なガイドラインに基づき、病期(ステージ)ごと、あるいはATEを併発しているかによって以下の治療ならびに経過観察が推奨されています。


Stage A
 :治療不要。
Stage B1
 :推奨される治療なし。
 年1回以上の心臓超音波検査による左心房拡大の確認が推奨される。
Stage B2
 :ATEのリスクが高い場合は抗血栓療法が推奨される。
 臨床徴候や左心房拡大などの進行をモニターすることが望ましいが、同時に
過度の検査・来院ストレスを避ける(必要に応じて鎮静薬などを考慮する)ことが推奨
される。
 βブロッカーやACE阻害剤、抗血栓薬などの治療薬が進行の抑制や予後の改善に寄与
する証拠はなく、現時点で一貫した推奨治療は存在しない。
Stage C
:急性期)肺水腫や胸水貯留を認める場合は直ちに利尿剤の投与や胸水の抜去を要する。
酸素給与や鎮静剤投与を行い、過度のストレスを与えないように注意しながら
X線や超音波、血液、血圧、心電図検査を実施する。
心不全状態からの離脱が得られるまで入院下で利尿剤±強心剤で治療する。
ACE阻害剤を含む血管拡張薬投与は推奨されない。

 慢性期)利尿剤を重症度に応じた用量で投与する。抗血小板薬の投与も推奨される。
βブロッカーやACE阻害剤の投与を推奨する大規模研究は存在しない。
2~4か月毎の再検査や、自宅での安静時呼吸の記録が強く推奨される。
Stage D
 :利尿剤の変更(フロセミド→トラセミド±スピロノラクトン)を考慮する。
 左心室収縮力の低下が認められる場合はピモベンダンの使用を考慮する。
動脈血栓塞栓症
 :安楽死が推奨される
 ただし、鎮痛が十分で、改善の見込み(低体温なし、CHFなし、患肢は片側のみなど)があり、リスクや予後不良の見通しが飼い主と十分に共有できている場合に、以下の治療を考慮する。
 発症初期は強力な鎮痛を要し、抗血栓療法の速やかな実施が推奨される。CHFがある場合、血栓溶解療法は推奨されず、利尿剤と酸素投与を行う。

 ※以上のガイドラインに基づいた推奨は大いに参考になりますが、犬の僧帽弁粘液腫様変性(僧帽弁閉鎖不全症:過去の記事参照)ほど知見の蓄積がないため、個々の患者の状況に応じて適切と思われる治療法が異なる場合もあります。

予後

 肥大型心筋症の進行速度や重症度には個体差が大きく、病態も一様ではありません。ごく緩徐に進行しシンプルな内科療法のみで寿命を全うできる症例もあれば、若齢であっても急速に進行し心不全を来す症例、心臓病と気づかれないうち全く突然に急死する症例など様々です。
 ただし、ひとたび動脈血栓塞栓症を発症すると非常に予後が悪いことが知られています。初期の救命率が20%前後、運良く回復して抗血栓療法を行ったとしても4-6か月で再発するとされます。

獣医師から

 猫の肥大型心筋症は非常に有名な病気です。そのわりに、初期からだんだんと進行していく過程を検診で追っていくことがさほど多くない病気でもあります。進行し、末期的な状態で初めてご来院されるケースが多いのです。
 猫の心臓病と心雑音は必ずしも相関しないことが知られており、身体検査では心臓病の有無を判断することができません。レントゲン検査や心電図検査では病状の進行した状態でないと検出できないことがあり、心臓超音波検査なしの健康診断では初期の心筋症を見過ごしてしまう可能性があります。根治治療ができない以上、いかに早期診断して進行を遅らせるかが鍵となる病気です。ましてや、心不全や動脈血栓塞栓症を発症してしまってからでは予後は非常に制限されますし、突然死すらあり得ます。若いうちからの定期検診がやはり大切といえるでしょう。
 ただし、猫は犬とくらべて環境の変化にストレスを感じやすい動物です。動物病院での健康診断、通院にナーバスになる場合は食事療法やフェロモン製剤、鎮静剤などを利用することで負担を軽減するようなご提案も可能です。ぜひご相談ください。


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